ブランディングの成功事例【15選】から学ぶブランド戦略の極意

                       

ブランドコンサルタント・中江 翔吾

ブランディングの成功事例集
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「ブランディングの成功事例を知りたい」
「実際に活かせるブランディングの成功事例を知りたい」
「ブランディングをもっと強化したい」

この記事では、ブランディングの専門家が厳選したブランディングの成功事例を15社紹介しています。

他のブログでは扱ってないようなユニークで為になるブランディングの成功事例を厳選したので、

こんなブランディングの成功事例は知らなかった!

という驚きが待っていることをお約束します。

中江翔吾
中江翔吾
というわけで、こんにちは!ブランドコンサルタントの中江です。

ブランディングとは」というブログ記事でも解説しましたが、ブランディングは、今や業種業界・規模問わず、事業をするのであれば、学ぶべき必須科目となりました。

今回のブログ記事では

  • 企業ブランディング
  • 商品・サービスブランディング
  • インナーブランディング
  • 採用ブランディング
  • リブランディング

という種類別に分けて、ブランディングの成功事例をご紹介しています。

今回の記事を執筆するにあたって、10冊以上の書籍資料や映像資料などを参考にし、入念なリサーチの元、2週間以上かけて執筆しました。

では、早速、お読みください。


1.企業ブランディングの成功事例

では、まず最初は、企業ブランディングの成功事例についてご紹介していきます。

1-1.星野リゾートのブランディングの成功事例

では、まず最初にご紹介するのは日本を代表する宿泊施設を運営する「星野リゾート」です。

星野リゾート
画像出典:https://www.hoshinoresorts.com/

星野リゾートは

  • 星のや:非日常なラグジュアリーホテル
  • 界:地域の魅力を再発見した温泉旅館
  • リゾナーレ:西洋型リゾートホテル
  • OMO:街を楽しみ尽くすための都市観光ホテル

など、国内外で45の宿泊施設を運営する企業です。

星のやバリ
画像出典:https://www.hoshinoresorts.com/

星のや軽井沢
画像出典:https://www.hoshinoresorts.com/

星のや京都
画像出典:https://www.hoshinoresorts.com/

星野リゾート自身で所有している宿泊施設はなく、あくまでも運営に特化した「リゾート運営の達人」というのが特徴です。

取扱高は2005年には150億円以下でしたが、2019年には552億円となり、まさに急成長を遂げているだけでなく、日本ホテル宿泊客満足度調査(株式会社J.D. パワー アジア・パシフィック)でも1位を獲得。

客室の稼働率は日本の全国平均が37%ですが、星野リゾートは驚異の80~90%以上を誇っています。

直近でオープンした「星のや東京」は「アジア太平洋ホテル投資会議最優秀賞」という賞も受賞し、海外からも高い評価を受けています。

星野リゾートの創業者は星野佳路さん。

星野佳路
画像出典:https://www.mugendai-web.jp/

元々、軽井沢にある実家の温泉旅館の後を継ぎ、1992年に、宿泊施設を所有せずに、運営を主体とした会社にすることを決意。

1995年に会社名を「星野リゾート」に変更し、これまで数々の赤字だった温泉旅館を再生し、人気の宿泊施設も創設してきました。

星野リゾートは

  • コンセプト
  • サービス
  • デザイン
  • ストーリー
  • マーケティング

など、機能的価値も感情的価値も全てにおいて完成度が高いです。

ですが、全ての原動力となっているのは「ホスピタリティ・イノベーターを目指す」という星野リゾートのコンセプトにあります。

ホスピタリティ・イノベーターとは何か?

2000年代から世界のホテルは「ホスピタリティ」を身につけ、顧客満足度を高めていきました。

ですが、そのホスピタリティは、基本的にはお客さんに合わせるだけの画一的なサービスでした

確かに、素晴らしいサービスは提供してくれるけど、どこのホテルに行っても同じようなサービスしかない。

これが世界のホスピタリティの現状です。

星野リゾートが思う「ホスピタリティ」の定義はこれとは違います。

星野さんは、星野リゾートが目指すホスピタリティについてこう述べます。

お客様にサービスを聞くのではなく、自分のこだわりをサービスにしていく。それがおもてなしであり、日本的なホスピタリティ

星野リゾートが運営する宿泊施設の特徴は、その土地だからこそできる非日常が味わえるというものです。

2004年に経営破綻し、再生させた「青森屋」では、

  • 料理は青森の郷土料理が中心
  • スタッフの8割が地元出身で、方言を使う
  • 駐車場ではポニーがお出迎え(青森は馬の名産地)
  • 本物のねぶたが見られる
  • りんごのガチャガチャがある

など、スタッフ発案の青森ならではのサービスが至るところにあります。

青森屋
画像出典:https://www.hoshinoresorts.com/

まさに、自分たちのこだわりを体験してもらうという新しい形の「ホスピタリティ」です。

教科書に書かれているような「ホスピタリティ」ではどこの宿泊施設でもやっているのでユニーク性はありません。

「自分たちのこだわり」を「ホスピタリティ」にするからこそはユニーク性が出るのです。

このようにブランドとなっている企業には、自分たちの仕事に対して独自の定義を持っている場合が非常に多いです。

この点は非常に参考になると思います。

1-2.福島屋のブランディングの成功事例

では、続いてのブランディングの成功事例はスーパーの「福島屋」です。

福島屋は東京の羽村市という都心から西へ45キロにあるスーパーマーケットです。

福島屋
画像出典:https://www.fukushimaya.net/

創業は1971年で、安売りや折込チラシも使わず、年商は50億円を突破し、店舗も10店舗展開しているまさにブランド化しているスーパーです。

福島屋に来るお客さんは口を揃えて

スーパーなら福島屋以外は考えられない

と言います。

近所にスーパーがたくさんあるにも関わらず、隣町から足を運んでくるお客さんも大勢います。

なぜ、福島屋がこれだけ人気なのかというと、

  • 他のお店では見たことがない安心安全の食材がある
  • 製法にもこだわり抜いている
  • 年間120日かけて全国から見つけてくる絶品の食材がある

という理由もありますが、何よりも代表の福島徹さんが

福島徹
画像出典:https://greenz.jp/

お客様にとっての美味しさ、安心を追求し、吟味したものを提供したい

という強い想いを持っているからです。

でも、元々は、福島屋は売上第一主義のスーパーでした。

安心安全で美味しいものを提供するスーパー

という理念はあっても

安心安全や美味しさをどう考えて、品揃えをされているんですか?

と聞かれても何も答えられなかったですし、売上を上げて、成り上がれればいいと考えていたみたいです。

ただ、その考えは、立川の2号店をオープンして変わりました。

立川の2号店は、オープンして1週目は、1日800~1000万円の売上が出ましたが、2週目からは120~130万円に下がり、損益分岐点が超えられない状況が6ヶ月続いたのです。

事業自体を全て畳むかどうかの瀬戸際で、眠れない日々が続き、体重も15キロ減ったそうです。

でも、そんな極限状態でも、お店にわざわざ足を運んでくれて、買い物に来てくださり、

この前のメロンとても美味しかった

と声をかけてくれるお客様がいたそうです。

そういうお客さんからの声を聞いて、心の底から

ありがたいなあ

と思えるようになり、本当に感謝の気持ちでいっぱいになり、涙が溢れて止まらなくなったそうです。

それで心からお客様に喜んでもらえる店作りをしようと思ったそうです。

お客様に商品の良さが伝わるように棚の陳列に変えるだけで、知らず知らずのうちに売上が伸びていき、損益分岐点を超えるようになりました。

スーパーが扱ってるメイン商品は食べ物です。

食べ物は、健康に大きな影響を及ぼすものであるからこそ、安心・安全でなければなりません。

また、美味しいものを食べると人は幸せな気持ちになります。美味しさが幸福を作るのです。

だからこそ、福島屋は

お客様にとっての美味しさ、安心を追求し、吟味したものを提供する

スーパーを追求しているのです。

実際に福島徹さんは、年間120日も全国を飛び回り「安心・安全で、美味しい食材」を探しています。

そこで見つけた食材や食品だけが、福島屋に並ぶので、他のスーパーでは見たことのないようなユニークな商品が多いのです。

1-3.銀木犀のブランディングの成功事例

では、続いてのブランディングの成功事例は「銀木犀(ぎんもくせい)」です。

「銀木犀」はサービス付きの高齢者向け住宅です。

銀木犀
画像出典:https://helpmanjapan.com/

高齢者施設と聞くと、

  • 管理される
  • 自由がない
  • 殺風景
  • 孤独

という風に、一般的にネガティブな印象を持つ人が多いと思います。

この銀木犀は、そんな一般的な高齢者施設とは真逆のコンセプトを持っています。

銀木犀のコンセプトは

自分の力で最期まで生きる場所

です。

基本的に、スタッフによる入居者のサポートは必要最低限に留め、入居者同士で助け合うのが基本。

過度な管理は依存を生む

という考えからとにかくそこには従来の高齢者施設にはないような自由があります。

ごはんを自分で運べる人は自分で運び、自由に食べ、花を生けられる人は花を生ける。

迷子札さえ持てば、入居者の外出も自由です。

浦安にある「銀木犀」では1階は地域住民に開放し、駄菓子屋と食堂を運営しているので、地域の子供たちや主婦たちが集まり、その人たちとの交流もある。

入居した人が活きいきと生きる姿を見て、思わず、

介護されるようになったら、ここに入所したい

と言ってしまうほど。

人生の最期はここで迎えたいと思っている利用者も多く、看取り率は76%(全国平均17%)。

入居する際には「どういう最後を迎えたいのか」というアンケートを取り、その最後に向けて手厚くサポート。

亡くなった入居者には一人一人、お別れ会を開きます。

日本が忘れてしまった家庭の温もりがある「銀木犀」の入居率は98%と日本一です。

「銀木犀」はシルバーウッドという建築会社が運営しています。

シルバーウッドを設立したのは、下河原忠道さん。

下河原忠道
画像出典:https://kurashicom.jp/

親の鉄鋼会社がバブル崩壊後に経営悪化したことを受け、状況を打開するためにシルバーウッドを設立しました。

この鉄鋼会社の鉄を売っていくために「スチールパネル工法」という工期が早くて、建築費が安い方法を武器に事業を展開していきました。

コンビニエンスストアやファミリーレストランなどにヒットし、

次に日本でこれから多く建てられる建物って何だろう?

と考えた時に「高齢者施設」と出会ったそうです。

そして、様々な施設を視察していく中で、日本の高齢者施設に愕然としました。

とにかく「延命」と「管理」が前面に打ち出された殺風景な施設ばかりだったそうです。

ある療養施設で出会ったおばあちゃんには

助けて

とか細い腕でしがみついてきたそうです。

北欧やハワイの高齢者施設ではもっと選択できる自由があります。

そうやって、高齢者施設の建築に携わる中で、自社でも一つ運営しようと始まったのが今の銀木犀です。

今のコンセプトが明確に定まったのは、最初期の入居者さんとの出会いがきっかけでした。

その入居者さんは、居心地の良い銀木犀を見て

私ここで死ぬます

と一言。

下河原さんはその一言に困惑しましたが、その入居者さんは元看護師で「延命」や「管理」を様々な現場で体験していました。

そして、彼女は

病院は本来、人が元気になる場所。人が死ぬ場所ではない。私は自分の家のようなところで自然体で死にたい。だからここに来た。こういう場所こそ必要

と言ったそうです。

その一言に腹を括った、下河原さんは「自分の力で最期まで生きる場所」を作るという運営スタイルを確立したそうです。

恐らくですが、この話を聞くだけでも、

介護施設を選ぶなら「銀木犀」が絶対に良い!

となる人は多いと思います。

ブランドコンセプトもユニークで、ストーリーも一貫していて、まさにブランドが確立されている事例です。

2.商品・サービスのブランディング成功事例

では、続いては、商品・サービスにフォーカスしたブランディングの成功事例について解説していきたいと思います。

2-1.バーミキュラのブランディング成功事例

最初に紹介する、商品・サービスのブランディング成功事例はバーミキュラーです。

バーミキュラは2010年に発売が開始されて、大ヒットした鍋です。

バーミキュラ
画像出典:http://hiroba-magazine.com/

価格は3万円で、普通の鍋が数千円で買えることを考えると、価格帯としては高いのですが、累計で30万個以上売れる大ヒットを記録した鍋です。

では、なぜ、相場よりも高い価格でも圧倒的に売れたのか?

一つはバーミキュラの機能面にその秘密があります。

バーミキュラは

  • ステンレス製の鍋
  • ホーロー加工した鋳物の鍋

という2種類の鍋の良いところを掛け合わせて作られた鍋です。

バーミキュラが世に出る前に世界一と称されていた鍋は「ステンレス製の鍋」でした。

なぜかというと、ステンレス製の鍋は気密性が高く、無水調理ができるからです。

普通、鍋を使って料理する場合は、水などを入れて調理することになりますが、それだとどうしても食材が持つ本来の味が薄まってしまいます。

ですが、ステンレス製の鍋だと、鍋に水などの水分を入れなくても、野菜などの食材に含まれる水分を引き出して調理できるんですね。

また、気密性が高いので、旨味成分や栄養素も水蒸気として逃さずに、調理することができます。

これがステンレス製の鍋の強みであります。

ただし、旨味を引き出すという点では、食材への「熱伝導」が重要になるので、ホーロー加工された鋳物の鍋に軍配が上がります。

鋳物という金属の最大の特徴は保温性にありますが、そこにガラス成分が組み込まれることで(ホーロー加工)、遠赤外線効果が発生し、食材を芯から温めることができます。

ただし、鋳物には弱点があって、形が変わりやすく、気密性を中々保てないことです。

だから、ステンレス製の鍋のように、無水調理はできないのが普通でした。

バーミキュラは、精度の高い技術を使って、ホーロー加工された鋳物の鍋に気密性を加えた鋳物の鍋なのです。

だから、ステンレス製の鍋のように無水調理ができて、かつ、食材を芯から温めて、旨味を引き出すことのできるのです。

ホーロー加工された鋳物の鍋という商品は世の中にありましたが、無水調理までできるほど気密性の高い鍋は、世の中にはありませんでした。

バーミキュラーのコンセプトは

暮らしをかえる鍋

です。

そしてそれに続くコンセプトコピーは

「息子がブロッコリーを食べた」「調味料を使わなくなった」「外食しなくなりました」「誰かといっしょに食べたくなる」そう。バーミキュラは、その機能性の高さで、あなたの暮らしを変えていく鍋なのです。

こんな魔法のような鍋は、技術的に作るのも非常に難しい鍋です。

鋳物の鍋をホーロー加工できるという技術も世界的に見てもフランスの3社しかありません。

そして、常識としてはあり得なかった、鋳物の鍋の気密性を高めるという挑戦を成功させるまでに失敗作は1万個以上、月日も合計で3年以上かかったそうです。

また、バーミキュラはサポート面も充実しています。

バーミキュラを製造した愛知ドビーの土方社長は


画像出典:https://www.projectdesign.jp/

バーミキュラという鍋を買ってもらうことがうちの最終ゴールではない。バーミキュラを使って料理を楽しんでもらうことが最終ゴール

ということを語っています。

だから、バーミキュラには専用のコールセンターがあり、使い方で疑問に思ったことをすぐ聞けるようになっています。

また、それだけではなく、そこには専属のシェフまでいます。

例えば、お客さんが

生後5~6ヶ月の子どもの離乳食をバーミキュラを使って作りたいんですが…

という質問を投げれば、その専属のシェフがレシピをその場で考えて、実際に調理して、回答してくれるんですね。

ここまで徹底的にサポートしてくれる会社は少ないと思います。

それだけ「暮らしを変える鍋」という理想世界を実現させるための熱意があるということです。

コールセンターなんて、人件費もかかりますし、本来作らなくても良いですが、こういう姿勢こそ多くのファンを作っていき、ブランドを築けるようになるのだと思います。

2-2.杉山フルーツのブランディング成功事例

静岡県の富士市の吉原商店街に杉山フルーツという果物屋さんがあります。

杉山フルーツ
画像出典:https://icotto.jp/

商店街の中にある個 人商店の果物屋というのは、ビジネス的にいうと、非常に厳しい環境です。

大型スーパーマーケットの進出とともに、商店街の店の数自体も減り、果物屋だけにわざわざいくことがなくなってしまったからです。

実際に個 人商店の果物屋さんは、十年ほどで、4万軒から2万軒台にまで減っています。

杉山フルーツがある吉原商店街も最盛期には120店舗ありましたが、今は半分の60店舗ほどしか残っていません。

こんな厳しい環境ですが、杉山フルーツは他には類を見ないほど、業績は好調で右肩上がりです。

店舗には、1日に100~150人が来店し、顧客単価は3000円〜5000円で、同業者の平均の倍の数字を出しています。

1万円もするようなメロンが年間で7~8000個も売れていきます。

これだけの業績を出せているのは、杉山フルーツの「在り方」に依るところが大きいです。

杉山フルーツの創業者の杉山清さんは、徹底的にお客様に最高の果物を届けようという姿勢があります。

杉山清
画像出典:https://visionet.jp/

ほぼ毎朝、日本最大の果物市場に出かけて、目利きをしてフルーツを選んで、店に戻ったら、従業員と品質を確かめて、「お客様はこれで満足するのか」と検討します。

中には、果物農家にまで実際に足を運んで買い付けまでしにいきます。

また、仕入れた果物も、一旦、箱から全部出して、傷んだものや形の悪いものは抜くという作業までする徹底ぶりです。

それだけ徹底して拘っているので、「杉山フルーツで果物を買っていけば間違いない」と言って、お客さんがやって来るんです。

「優良経営食料品小売店全国コンクール」という賞をもらった時に、お客さんから何十本も

杉山フルーツのお客さんで良かった

という電話がかかってきたことからも、どれだけ顧客満足度が高いのかわかると思います。

杉山フルーツの中でも特に人気なのが「杉山清の生フルーツゼリー」です。

500〜700個あるフルーツゼリーが毎日完売する大人気商品なのです。

価格は1つ370円〜1000円ほどで、コンビニのゼリーと比べると実に「3~10倍ほど」なので、ゼリーにしてみたら価格は高い方だと思います。

ですが、この7年間で120万個も売れています。

杉山清の生ゼリー
画像出典:https://fujibrand.jp/

このフルーツゼリーにも杉山さんの並々ならぬこだわりがあります。

使用している果物は、加工用のワンランク落ちる果物ではなく、贈答用の高級果物を使用しています。

しかも、このゼリーは全て手作りというこだわりぶり。

ゼリーの中に果物を置くときはピンセットやスプーンで調整します。

これまで何度も大企業から

全国で販売しないか?毎日1億円の売上が上がりますよ

と持ちかけられたそうですが、全て断ったそうです。

というのも、全国に販売するとなると、添加物や防腐剤を入れて、工場のラインで生産しないといけなくなるからです。

そんな風にして作られたゼリーは、杉山フルーツのゼリーではないという自負があるからです。

目の前の売上よりも、ブランドとしての理想を捨てない姿勢こそが、杉山フルーツをブランドたらしめています。

2-3.SOUSOUのブランディング成功事例

さて、続いてのブランディングの成功事例はアパレルブランドの「SOUSOU」です。

SOUSOUは、京都でオリジナルテキスタイルを使用した、和服や地下足袋や小物などを販売しているお店です。

SOUSOUの服
画像出典:http://www.sousou.co.jp/

SOUSOUの靴
画像出典:https://shop-pro.jp/

SOUSOUの手拭い
画像出典:https://shop-pro.jp/

SOUSOUが目指すのは

新しい日本文化の創造

です。

明治維新以降、日本にはありとあらゆる西洋の文化が入り、日本人のライフスタイルは大きく変わりました。

もちろん、それによって生活が便利になった面もありますし、日本の文化とうまく融合した分野もあります。

では、衣服や靴などの身につけるものはどうか?

地下足袋は靴に取って代わられ、和服は洋服に取って代わられました。

ただ、取って代わられたのです。

その原因は、ライフスタイルの変化と共に和装文化が進化しなかったからです。

また、その結果として、和装文化を作り上げてきた関連産業も廃れていきました。

SOUSOUは、日本の伝統的な和装文化を現代に合うような形で、復活させようとしているブランドなのです。

SOUSOUが目指すデザインは

日本の伝統の軸線上にあるモダンデザイン

です。

SOUSOUの特徴的なテキスタイルデザインは、古くからの日本らしさを感じさせつつも、斬新で新しい仕上がりになっていて、若者からも幅広い年齢層に支持されるアパレルブランドとなっています。

SOUSOUの代表である若林剛之さんは、中学3年生の頃にファッションに目覚め、私服通学の高校に進学したこともあって、洋服がどんどん好きになります。

若林剛之
画像出典:https://www.shakaika.jp/

その頃は、DCブランドがブームの兆しを見せ始めていた頃で、高校を卒業する頃には、将来はファッションデザイナーになりたいと思い、東京に上京して、日本で唯一の「オーダーメイド紳士服の専門学校」である、日本メンズ・アパレル・アカデミーに進学します。

そして、その学校を卒業後、念願だったDCブランドに就職が決まります。

DCブランドが最盛期の頃に就職しましたが、90年代に入ると、徐々にその勢いも落ちてきます。

それと同時に流行り出したのが、日本では発売されていない米国のブランドを現地で買い付けては、現地価格の3倍ほどで売るというセレクトショップが流行り出していました。

DCブランドは西洋の流行を真似て作ったものですが、インポートしたものは本物だったわけです。

そして、そのタイミングで、若林さんはニューヨークに渡り、今まで鍛えてきた目利きを活かして、直接レアものを買い付け、自分のセレクトショップを京都に開くことになります。

こんな海外のレアものが手に入るのは若林さんのお店以外になく、順調に売上は右肩上がりに伸びていきました。

そして、その頃に自宅の建て替えを検討していた時に、依頼することになった建築家の辻村久信さんと出会います。

辻村久信
画像出典:https://www.imn.jp/

そして、辻村さんの紹介で、テキスタイルデザイナーの脇阪 克二さんに出会うことになります。

脇阪 克二
画像出典:https://www.1101.com/

後に、この3人でSOUSOUを立ち上げることになります。

若林さんは、辻村さんの紹介で、脇坂さんの自宅兼アトリエを訪ねて、脇坂さんの描いたデザインを見せてもらいます。そして、衝撃を受けます。

脇坂克二のテキスタイルデザイン
画像出典:https://www.amazon.co.jp/

脇坂さんの作品は40年前のデザインも10年前のデザインも、そして現在のデザインも全く色あせず、普遍的な魅力を持ったデザインでした。

若林さんは「これだ!」と直感しました。

なぜ、流行を追って、常に新しいものを売り続けなくてはならないのか、いいものを作ったのならば、長くそれを売り続ければいいのではないか

という思いがふつふつと湧き上がってきました。

「流行よりも文化作りを」という思いです。

そして、若林さんはこのテキスタイルデザインを活かした、服、家具、雑貨などを作れば絶対に面白いことになると確信して、SOUSOUを始動することになります。

若林さんはSOUSOUの活動を続けていく中で、日本の伝統が失われて行っている現状に気づきます。

服は和装から洋服に変わり、履き物は地下足袋から靴に変わっている。そして、それに関わる産業も廃れていってるのに気づきます。

それは日本の伝統が過去のまま変化せず、現代の変化に対応していないからこそ生まれている状況です。

だからこそ、SOUSOUが志向しているデザインは「日本の伝統の軸線上にあるモダンデザイン」なんです。

「日本人が外国文化に憧れる」のではなく、「外国人が憧れるような日本文化を創りたい」という若林さんの思いが体現されているのです。

これが、SOUSOUというブランドが目指している「新しい日本文化の創造」の意味です。

そして、若林さんは、伝統産業とSOUSOUのコラボレーションによって、国内産地のものづくりを再び盛り上げることも目標に活動して行ってます。

3.インナーブランディングの成功事例

では、次に、インナーブランディングの成功事例についてご紹介していきたいと思います。

インナーブランディングとは、一般消費者ではなく、組織内のメンバーに対して行うブランディングのことです。

インナーブランディングを実行することで、組織内のメンバーがブランド意識を持ち、積極的にブランド作りに関与するようになります。

3-1.日吉歯科のインナーブランディング成功事例

まず、最初に紹介するのが山形県酒田市にある日吉歯科です。

日吉歯科
画像出典:https://www.hiyoshi-oral-health-center.org/

酒田市の人口は11万人ですが、その中の約1割にあたる1万人以上がこの歯医者に通っているそうです。

もちろん、地域住民だけではなく、全国から患者が集まり、アメリカ、ヨーロッパ、アジア諸国からも多くの視察が来ます。

日吉歯科は、2016年に東京にも進出したのですが、なんと初期の頃は予約が1年待ちになったそうです。

一体、なぜ、こんなに人気なのか?

それは日吉歯科が

生涯自分の歯で食べられる人を増やす

ことを理念とし、予防歯科に徹底的に力を入れているからです。

日吉歯科では「歯が悪くなった」という患者がやってきても、よっぽどのことがない限りは、初診で治療はしません。

まず、やるのは、虫歯になる構造や、歯磨きなど口内環境を清潔に保つ方法を歯科衛生士から教わるということです。

というのも、どれだけ歯の治療をしても、口内環境が清潔でなければ、またすぐに歯が悪くなり、どんどん歯を削り、最後には歯を失ってしまうというループに入ってしまうからです。

日本では高齢者の89%が入れ歯だと言われているそうですが、原因は、口内環境を清潔に保つ習慣を持たずに、治療を何度も繰り返すからです。

ですが、この治療方針を取ったおかげで、20年以上通う患者で、歯を2本以上失った患者は一人もいないそうです。

また、本当に治療の質が高いので、8割のお客さんが家族単位で来院するそうです。

まさにブランドとなっている歯科医院です。

こういう治療方針を取っている歯科医院は、まだまだ日本では珍しいと思います。

だからこそ、ブランディングをしていく上では、実際に働く歯科衛生士や歯科医師などに取り組みを理解してもらい、浸透させる必要があります。

日吉歯科では、このインナーブランディングの部分も徹底しています。

まず、日吉歯科に入った人は、数年間、先輩について勉強することになります。

海外から優秀な歯科衛生士を招き、研修会を開いて学びながら、年3回セミナーを開催します。

また、毎月1回木曜日は全員参加の勉強会を開催し、各部署のスタッフ全員が仕事の内容や現状について持ち回りで発表します。

当然、発表のためには資料の準備や勉強も必要ですし、患者さんと真剣に向き合うことも求められます。

その過程で、日吉歯科の理念は浸透し

患者さんのために、私が勉強しなくてどうするんだという使命感がある

というスタッフがたくさんいます。

他にも、各部署ごとのミーティングを週に1回、部署長のミーティングを月に1回開催され、コミュニケーションは密に取ります。

予防歯科を主体としたこの治療は、普通の歯科医院と比べると、業務量は3倍にもなるそうです。

生活のために働くのではなく、本当に使命感に燃えていなければ、続けられません。

日吉歯科の理念が全スタッフに浸透しているからこそ、日吉歯科はブランドであり続けるのです。

3-2.伊那食品工業のインナーブランディング成功事例

では、続いて紹介するのは伊那食品工業です。

長野県の伊那谷にある寒天メーカーです。

伊那食品工業
画像出典:http://www.hagukumu.co.jp/

伊那食品工業は、寒天メーカーとして、国内市場の80%のシェア、海外市場の15%のシェアを誇る世界No.1の会社です。

また、寒天自体は斜陽産業にも関わらず、寒天を使った新製品を開発し続け、48年間増収増益を続けたこともあるとても稀有な企業です。

当然、創業以来、一度のリストラもなく、地域貢献も非常にされていて、2006年にグッドカンパニー大賞を受賞しています。

トヨタのCEO・豊田章男さんは、この会社の代表取締役の塚越寛さんのことを「師匠」と呼ぶほど、素晴らしい経営をされています。

塚越寛
画像出典:https://www.nippon-shacho.com/

伊那食品工業の経営理念は

いい会社を作りましょう

です。

いい会社とは、単に経営上の数字ではなく、会社を取り巻くすべての人々が「いい会社だね」と言ってくれる会社のことです。

会社を取り巻く人とは

  • お客様
  • 社員
  • 地域住民
  • 取引先
  • 同業者

などのことですね。

この人たちを全て幸せにする経営をされています。

特に

会社は社員のためにある

と明言するくらい、社員に対する思いは強いです。

元々、この伊那食品工業は、塚越さんが創業されたわけではなく、塚越さんがいた就職先の子会社の一つでした。

寒天を作ってはいましたが、技術も稚拙で、創業から半年で経営危機に陥ったため、塚越さんが再建を任されることになったのです。

創業当初は、資金が潤沢にありません。

そんな時に、社員がミスで、クレーンで足先を潰し、複雑骨折をしてしまいました。

塚越さんは

今の機械では社員の安全は守れない

と思い、設備の増強を決断します。

しかし、この設備投資は、会社が潰れてしまうのではないか、というほど高額の設備投資でした。

それでも社員のことを第一に考える経営方針だったので、決断したのです。

普通であれば、こんな無茶な投資はしないと思います。

ですが、結果として、安全性も、生産性も大幅に向上し、社員のやる気も上がり、売上も上がるようになりました。

伊那食品工業では、社員のことを家族の一員だと考えます。

お金に困ったらまずは会社に相談しなさい

ということで社員貸付制度があったり、銀行よりも高い利息をつける社員預金制度があったりします。

また、採用では「協調性」を重視し、評価制度では、成果主義は採っていません。

成果主義を採ると、数字ばかりに目がいき、社内の和が乱れていくからです。

抜擢人事も一部あるそうですが、基本的に給与も年功序列です。

なので、社員は安心感を持って仕事に臨んでくれるそうです。

年一回は、社員旅行があり、社員同士の仲がとても良いので、それを通じても結束力が高まるそうです。

なので、社員の自宅が家事になった時も、みんなでカンパや、緊急の手伝いに行ったりするそうです。

関わる人を全て幸せにする

という精神は当然、社員にも受け継がれています。

強制もせずとも、出社前には、多くの社員が敷地内の掃除や植物の手入れをします。

また、中には、休日にも出てきて、掃除や植物の手入れをしたりする人もいるそうです。

それだけ会社のことを誇りに思っている証拠ですし、この会社を利用してくれる人のことを考えているのでしょう。

塚越さんは、いい会社を作るための10カ条として、以下を掲げています。

  • 常に良い製品を作る
  • 売れるからといって作りすぎない。売り過ぎない
  • できるだけ定価販売を心がけ、値引きをしない
  • お客様の立場に立った物づくりとサービスを心がける
  • 美しい工場・店舗・庭づくりをする
  • 上品なパッケージ、センスのいい広告を行う
  • メセナ活動とボランティア等の社会貢献を行う
  • 仕入れ先を大切にする
  • 経営理念を全員が理解し、企業イメージを高める
  • 以上のことを実行し継続する

これを全ての社員が徹底しているからこそ、関わる全ての人たちに「いい会社だね」と思ってもらい、繁栄を築くことができています。

3-3.ネッツトヨタ南国のインナーブランディング成功事例

では、続いては、自動車販売を手がける、ネッツトヨタ南国です。

ネッツトヨタ南国
画像出典:https://www.vistanetz.com/

自動車小売業は、現在、業界として、成熟期を迎え、どこも非常に厳しい経営を強いられています。

1970年には1世帯あたりの自動車の保有台数は0.2台程度でしたが、今やそれは2台以上に迫る勢いで伸びているからです。

この10年間だけでも、店舗数・従業員数は19%減少、販売額も20%減少しています。

ですが、こんな状況の中、ネッツトヨタ南国は、右肩上がりで業績を伸ばし続けています。

ショールームへの来店客は、平日100人以上、週末300〜500人以上、年間では10万人を超えています。

飛び込み営業、訪問営業、チラシなどの営業は一切やっていません。

また、オールトヨタ販売店の中で、1999年以降、顧客満足度ナンバー・ワンを維持し続けているのも特徴です。

お客様からの感謝状が年間数百通も届いており、お客さんに支持されているからこそ、右肩上がりの成長をし続けることができるのです。

まさに、ブランド化している企業でしょう。

では、その顧客満足を生み出している要因は何か?

それは従業員満足度です。

スタッフが心の底からここで働けることを幸せを感じ、働きがいを感じるからこそ、お客さんを感動させるようなサービスが提供できます。

横田英毅会長はこう述べています。

横田英毅
画像出典:https://eventregist.com/

私たちは車を売ることを目的としてはいません。より大切なことは、社員が幸せに働ける会社を作ることです。そうすればお客様にとっても、自然に満足度の高い会社になるのです。仕事や職場にやりがいを感じ、所属する組織に誇りと喜びを感じている社員は、お客様に心から喜んでもらえるサービスを提供しようと考え、行動するのは自然だからです。(『日本でいちばん大切にしたい会社』坂本光司)

従業員満足度が高ければ、ブランドの理想を理解し、それに沿って、社員は自発的に行動するようになっていきます。

ネッツトヨタ南国は、試乗が48時間できるという驚きのサービスがあるのですが、こういったサービスの発案も社員からです。

10分や20分乗るだけでは、車の良さは伝わらないということです。

ブランディングをしていくには、やはり、企業を構成する従業員がどれだけ企業文化を理解し、体現していくのかが重要です。

この点、ネッツトヨタ南国は、採用から新入社員オリエンテーションの過程で、その教育をしています。

まず、最初に、ネッツトヨタ南国は採用にものすごく力を入れます。

採用の専門部署があり、就職希望者は最低でも30時間以上の会社訪問をします。

その中のほとんどの人は、2週間以上のインターンシップに参加し、実体験を踏まえた上で、入社動機を明確にして、採用面接に臨みます。

この時点で、会社の文化や目指す方向性、現場の仕事、一緒に働く社員の人がどういう人かもわかるので、

入社前はこんな理想的な会社だと思ってたけど、現実は違った

というようなギャップは生まれにくくなっています。

実際に、ネッツトヨタ南国は、転職率の高い業界でありながら、離職する社員はほとんどいません。

また、入社したらまず、新入社員は45日間のオリエンテーションを受けます。

このオリエンテーションではスキル研修というよりも、ネッツトヨタ南国の考え方やそれを実践する心構えを学びます。

仕上げは「4泊5日のバリアフリーお遍路の旅」です。

全国の視覚等に障害を持たれている方とペアになり、四国八十八箇所霊場を案内して回ります。

普段生活していて、資格等の障害を持たれている方と接することはないと思います。

その方と一緒に旅行するためには、相手が求めていることを本当に感じ取り、動くことが求められます。

サービス業の根幹をなす部分ですね。

それを旅を通じて学ぶことができるのです。

そして、その後も、半年間は、毎日、1ページ分の日記を書き、先輩にコメントを入れてもらうというやりとりをしていくそうです。

これで新人とも密にコミュニケーションが取れ、強固な組織が出来上がっていくというわけです。

顧客満足度は従業員満足度の現れだということがよくわかるブランディングの事例でした。

4.採用ブランディングの成功事例

では、次に、採用ブランディングの成功事例についてご紹介していきたいと思います。

4-1.中村ブレイスの採用ブランディング成功事例

では、まず最初の採用ブランディングの成功事例は、中村ブレイスです。

中村ブレイスは1974年創業の義肢装具メーカーです。

中村ブレイス
画像出典:https://kindaipicks.com/

場所は、日本で最も過疎化が進んでいる島根県の石見銀山の麓という400人しかいないところなのですが、日本中から若者が就職希望先として殺到しているという会社です。

会社の周りにはお店も遊ぶ場所もないにも関わらず、首都圏だけでなく、日本中から若者が殺到する会社なんて、日本にどれだけの数あるでしょうか。

社員の多くは、自分が作る義肢装具が、体が不自由になってしまった人の役に立っていることを誇りに思い、

休日は休みなさい

と言っても、こっそり出勤して仕事をしているそうです。

少しでも早く義肢装具が完成すれば、それだけお客さまの助けになるので、働きたくて、働きたくて仕方がないのです。

こんな社員は本当に会社にとっては宝ですよね。

これは中村ブレイスがこれまで製作してきた義肢装具で、多くの人の人生を支えてきたからです。

中村ブレイスに就職する人は、かつて義肢装具の製作を依頼した人も多いそうです。

私のような人はこれからもっと出てくるでしょう。私も、そんな人たちのために足を作ってあげたいので、私を就職させてください。(『日本で一番大切にしたい会社』坂本光司)

というようなことを言われ、高校や大学に進学してから、戻ってくるそうです。

義肢装具を作るというのは本当に大変な仕事です。

足や指一つとっても、100人いれば、100通りです。

その人の体にフィットするように作らなければいけません。

また、命に関わることなので、責任も重大です。

だから、多くのものづくりメーカーはやりたがらないのです。

熱い使命感がなければ、できない仕事です。

でも、そういう使命感の元に、手作りで義肢義足を作り続け、多くの人の人生を支えてきたからこそ、中村ブレイスには人が集まるのです。

広告が上手だから優秀な人材が集まるのではありません。

理念や思いが熱く、本当に多くの人の人生に影響を与えるような仕事をしてきたからこそ、中村ブレイスのような会社はできるのだと思います。

4-2.小松製菓の採用ブランディング成功事例

岩手に「小松製菓」という会社があります。

小松製菓は「煎餅」というジャンルで、販売日本一位、年商30億円の企業です。

小松製菓
画像出典:https://www.iwateya.co.jp/

設立は1948年で、もう70年以上続く、老舗企業です。

「煎餅」と聞くと、どこか古臭くて、これから就職する若者には人気がなさそうに思えますが、今でも高校生の就職の希望先として応募者が殺到しているという状況です。

なぜ、これだけ採用が上手くいってるのかというと、この会社が従業員を大切にする会社だからです。

小松製菓はとにかく最後の最後まで、従業員の面倒を見ようとします。

具体的には

  • 社員はもちろん、パートの人にまで1人つき毎月1万円まで保育手当を支給
  • 本人が希望すれば、70歳まで雇ってもらえる
  • 定年まで20年以上勤務した社員に年2回、遺族にまで渡し続ける「小松年金」

という制度などもあり、

本当にここの会社に勤めて良かった

という従業員が後を経ちません。

定年になると泣きながらやめていく従業員も大勢いるそうです。

そして、そんな風に退職していく従業員を見かねて、退職後でも元従業員の仲間と働ける「四季の里」という蕎麦工房を作ったほどです。笑

四季の里
画像出典:https://www.iwateya.co.jp/

この蕎麦工房は黒字になったことが一度もないそうですが、元従業員が働ける場所として用意しているのです。

休みの日には、敷地内の元従業員が草刈りをボランティアでやるそうです。

これは創業者の小松シキさんの影響が大きかったんだと思います。

小松シキ
画像出典:https://since2018.jp/

シキさんは

社員はお客さま。長く愛してもらえないとこんな小さな街ではやっていけない。

と語り、従業員の幸せを考える経営をされてきました。

従業員が嫁ぐなら、嫁入り道具を一式渡すなどをして、家族同然の付き合いをしていたそうです。

採用に関して言えば、どれだけ広告がうまくても、従業員が満足していなければ意味がありません。

採用しても、結局、入社してみて、実態を知れば、辞めてしまうからです。

特に今はインターネットがあるので、そういった本当の評価というのはバレやすいです。

従業員を家族同然に扱うこの精神は今の時代にも引き継がれ、小松製菓のブランドが確立する要因になっています。

4-3.Plan・Do・Seeの採用ブランディング成功事例

さて、次にご紹介するのは、国内外に、ホテル・レストラン・バンケットを運営する「Plan・Do・See」です。

Plan・Do・See
画像出典:https://plandosee.co.jp/

この企業は採用ブランディングを語る時に外すことができない事例です。

Plan・Do・Seeは、非上場で事業のプロモーション活動もほとんど行っていないにも関わらず、「就職したい人気企業ランキング」の上位に軒並みランキングしています。

今やエントリー数は平均5~6万人を誇り、企業説明会には約2万人を動員しています。

ミッションは

日本のおもてなしを世界中の人々へ

です。

この会社を創業したのは、野田豊加さん。

父親は立教大学の観光学部を創設した教授で、毎週のように家族でホテルに食事に行き、日本の一流のホテルやサービス業の素晴らしさを幼い頃から実感していたそうです。

高校の時に、帰国子女のクラスメイトが

海外のホテルのサービスは素晴らしい

ということを話していたそうです。

それで、20才を超えた時に、実際に見てみようということで、ニューヨーク、ロンドン、ロサンゼルス、ハワイなど色々なところに行きましたが、日本のサービスの素晴らしさを超えるものはなかったそうです。

海外に行って分かったのは日本の「ホスピタリティの高さ」でした。

野田さんが疑問だったのは、これだけのホスピタリティの高さを持っているのに、日本のホテルが海外にあまりないことでした。

もし、日本のホテルが海外にあれば、このホスピタリティの素晴らしさを世界にアピールできる

これが今の事業を始めるきっかけとなっています。

事業のスタートはウェディング事業からでした。

野田さんは、ある時、有名ホテルを式場にした親友の結婚式に出たそうです。

そこで驚いたのは、料理とサービスの質の低さでした。

結構、有名なホテルだったので、普段の料理やサービスの質は分かっています。

普段との落差に驚いたのです。

「一体、なぜなんだろう?」と疑問に思っていると、

ホテルの収益のほとんどが結婚式に依存している

という事実を知ります。

粗利は5~7割だそうです。

しかも、結婚式は基本的にはリピートされない商品・サービスなので、

多少、料理やサービスの質が低い方が利益が取れるし、この程度でいいか

という認識が業界的にあったそうです。

ウェディングを制すれば、ホテルを制することができると考え、本当にお客さんが満足するようなプランを考え、ホテルに営業にいきましたが、提案は全て断られたそうです。

これまでの慣習にしがみついたのです。

そんな時にふと、二つのアイディアが浮かびます。

まず一つ目が

レストランで結婚式をしてはどうか?

というアイディアです。

日本にはお洒落なレストランがたくさんありますが、そこで結婚式をすれば、出来立ての美味しい料理を提供することができます。

2つ目は、外国の映画でよく見るような

大邸宅でウェディングを開くことはできないか?

ということです。

アメリカと日本ではそもそも家のサイズが違うので、改装して、パーティ専用の家を作ったらどうかというアイディアでした。

そして、Plan・Do・Seeを躍進させる

  • レストランウェディング
  • ハウスウェディング

という事業がスタートしたのです。

Plan・Do・Seeの採用活動で凄いのが、とにかく企業の理念や価値観に共感している人しか採らないということです。

志望動機よりも、その面接に来た人の価値観を知るための質問を繰り返すそうです。

2016年にむすび株式会社が行った調査によると、内定者の70.5%が

内定先企業の理念・価値観に共感している

と回答しました。

これは驚くべきことであり、ブランドを構築するためには、本当に理想的な採用活動です。

ブランドを作るのは人だからです。

能力なんてものはあとでいくらでも伸ばすことができます。

それよりも大事なのは、理念や価値観に共感しているかです。

ここがずれてしまっていたら、人は辞めてしまいます。

Plan・Do・Seeはこの採用活動を行う過程で、理念や価値観の発信をするので、エントリー数の5%が顧客になるそうです。

5.リブランディングの成功事例

では、最後にリブランディング の成功事例について解説したいと思います。

リブランディングとは会社の経営危機に際して、これまでのブランドのイメージを刷新して、ブランドを再構築することです。

5-1.天草エアラインのリブランディング成功事例

では、まず最初に天草エアラインという航空会社について。

天草エアラインは、社員数54名で、所有している航空機が1台という日本一小さい航空会社で、

  • 熊本空港や福岡空港への所要時間の短縮
  • 観光客・企業誘致・経済活動の増加
  • 天草の渋滞緩和

を目的に作られた、第三セクターの会社です。

天草エアライン

天草空港ができたことによって、交通の利便性は格段に向上しました。

天草から福岡空港まで行く時間も陸路だと4時間半かかっていたのが、30分で行けるようになりました。

なので、就航1年目は、その利便性と話題性で1億円の黒字で、3年目まで利用率は65~72%、利用者も年間8万人だったので、なんとか採算がとれるラインにいました。

ですが、10年目には年間利用者数は4万人まで落ち込みます。

そして最終的には、赤字決算が6年連続で、累積赤字は4億8000万円にまで拡大し、2009年3月期の決算は、約9500万円の赤字。

熊本県の包括外部監査人の監査報告書では

天草エアラインの財政状態は債務超過寸前に陥ってる。また、当初想定した以上の整備及び、燃料費の高騰などにより支出の増加、さらに路線の利用率の低下による収入の減少から業績は低迷し、運営資金の確保においても厳しい状態が続いており、今後も改善の見通しが立たない状況である。

と言われ、社員のモチベーションも低く、絶望的な状況まで落ち込みました。

では、なぜこうなってしまったのか?

大きな要因としては、所有している機体が1台しかないことでした。

これは航空業界の常識なのですが、所有している機体が1機しかない状態というのは異常で、普通であれば経営なんて上手くいきようがありません。

というのも、その1機が整備に入ってしまえば、何日も運行できないからです。

ちゃんと経営するためには、最低でも20機は必要と言われています。

所有機体が1機だと、就航から年数がたてばたつほど、機体の経年化による故障でると、欠航が相次ぐようになります。

予約していたのに、欠航が相次ぐと、

「天草エアラインは欠航が多い」

という印象を持たれてしまって、お客さんが来なくなります。

そして、お客さんが来なくなると、機体の修繕にかける費用すら捻出できないという負の循環が生まれていきます。

さらに追い討ちがかかったのが、スカイマークやピーチなどの格安航空会社の参入でした。

「神戸〜熊本路線」であれば、一機しかない天草エアラインでは、せいぜいできても1日1往復です。

それがスカイマークでは、1日3往復できます。料金も天草エアラインよりも30%安いのです。

天草空港から熊本空港に行くのには利用されても、熊本空港から神戸空港では利用されないのです。

だから、天草エアラインは、通常の航空会社が持つような「安さ」「早さ」「便利さ」とは違う価値を生み出すことが求められるようになったのです。

ここで根本的なリブランディング が求められるようになったのです。

ただし、大手の航空会社や、格安航空会社が業界内にいる中で、「高速の便利な移動手段」として、天草エアラインが生き残ることは非常に難しいです。

その方向性で勝負していけば、確実に価格競争に巻き込まれます。

天草エアラインらしさとは何か?

天草エアラインは、飛行機ではなく、正式にいうとプロペラ機なので、飛行高度が低く、眺めが良いのが魅力の一つでもあります。

目的地に向かうことももちろんですが、遊覧飛行的に景色を楽しめるような飛行ルートを設定すれば、他の航空会社にはない独自の魅力になるでしょう。

また、CAのフレンドリーな接客も魅力の一つです。

機内はまるで観光バスのような小ささで会話しやすく、機体も1機となると、お客様の顔も覚えられ、非常にコミュニケーションが取りやすいのです。

社内会議をしていく中で見えてきたのが、

飛行機に乗ること自体が目的となる航空会社を目指す

という方向性でした。

天草エアライン自体のファンを増やし、天草エアラインに乗ること自体が目的となるような方向性を目指すということですね。

まず、機体のデザインは、天草出身の放送作家の小山薫堂さんの番組の「小山薫堂 東京会議」に取り上げてもらい、公募で入れ替えることになりました。

天草エアライン
画像出典:http://mizoka.org/

天草といえばイルカウォッチングなので、イルカにまつわるデザインが採用され、番組にも取り上げられたことにより、全国的にも地名度が上がっていきました。

また、接客も従来のCAのようなきっちりとした接客ではなく、もっと親しみやすい接客に変えていくことになります。

CA手作りの機内誌も、観光情報だけでなく、CAの紹介なども入れるように変えました。

天草エアラインの機内誌
画像出典:https://www.amx.co.jp/pdf/iruka_backnumber/yon208.pdf

これだけでも天草エアラインに非常に愛着を持ってくれるお客さんというのは増えます。

ブランディングにおいて重要なのは、人です。

この人がいるから、天草エアラインを利用しよう

と思ってもらうことができれば、お客さんは離れませんし、ブランドになります。

料金だけで言えば、格安航空会社の方が安いかもしれないけど、こんなCAさんがいるからとか、景色を楽しめるからとか、アットホームな雰囲気が好きだから天草エアラインを選ぶという人は大勢いたはずです。

全国にファンが増え、社員のモチベーションも上がり、天草エアラインらしいサービスの質が高まり、さらにファンが増えていくという循環が生まれるようになりました。

「飛行機に乗ること自体が目的となる航空会社を目指す」というところでいうと、前代未聞のフライトサービスが始まりました。

プレミアムフライトという「熊本発」→「熊本着」のサービスです。

機内では天草の寿司屋「奴寿司」の二段重ねのにぎり寿司と、天草空港付近の「維新之蔵」のチーズケーキ、天草産のオレンジジュース、オリジナルトートバッグがもらえます。

飛行時間は1時間で、価格は2万5000円。

ただただ、天草エアラインに乗ることを目的としたサービスでした。

これが即日30分で完売したのです。

まさに天草エアラインが高速の移動手段から「乗ること自体がの楽しみになる」航空会社にリブランディング された瞬間でした。

どれだけ他に高速で、便利で、安い航空会社がいようが、一定数の天草エアラインのファンの人は「天草エアラインが良い」と選ぶような状態を作り出すことに成功したのです。

リブランディングを行うことによって、たった数年で

  • 旅客数は22.4%増加
  • 搭乗率は7.2%増加
  • 売上高も13.7%増加
  • 当期利益を5年連続で黒字化
  • 累積赤字も2億7000万円に縮小

を実現しました。

5-2.USJのリブランディング成功事例

では、続いては、関西最大のテーマパークのユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)について。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
画像出典:https://tabichannel.com/

ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)は2001年に大阪で関西最大のテーマパークとしてオープンしました。

日本にはこれまでなかった「映画のテーマパーク」(ET、ターミネーター、バックドラフト、ジュラシックパーク)という切り口は、話題を呼び、1年目にして来場者数が1000万人を突破するという華々しいスタートを切りました。

ですが、その後は、来場者数は右肩下がりに減少を続け、2004年には事実上、経営破綻しています。

社長が何度も交代し、スヌーピーやハローキティなど、映画の要素以外のものも様々取り入れますが、来場者数は700万人前後から伸びませんでした。

ここでUSJは日本を代表するマーケッターの森岡毅さんを招き、リブランディングを行いました。

森岡毅
画像出典:https://matome.naver.jp/

そして、その結果、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)は大きく息を吹き返しました。

2015年には、来場者数は、東京ディズニーシーを抜く1390万人まで上昇し、たった5年で来場者数を約2倍にするという快挙を成し遂げました。

森岡さんが、まず行ったのは現状の把握と分析です。

なぜ、c伸び悩んでいたのか?

園内を歩き回り、ありとあらゆるデータを見て回った結果、見えてきたのが「映画のテーマパーク」というコンセプトの限界でした。

「映画のテーマパーク」というコンセプトは、どちらかというと大人向けです。

園内のアトラクションやその他の施設も、全て大人向けで、小さい子どもが楽しめるような設計にはなっていませんでした。

実際に、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)には、どんな人が訪れているのかというデータを見ると、小さい子どもを連れたファミリー層を取り逃がしていたのです。

圧倒的な集客力を誇る、東京ディズニーランドでは、このファミリー層を逃していないことはもちろんですが、全年齢層を対象に集客しています。

そこで、森岡さんが行ったのは、「映画のテーマパーク」というコンセプトの転換でした。

それが

世界最高のエンターテインメントを届けるテーマパーク

というコンセプトです。

そこから、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)は提供しているコンテンツは

  • ONE PIECE
  • モンスターハンター
  • 進撃の巨人
  • 妖怪ウォッチ
  • ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド〜バックドロップ〜
  • バイオハザード
  • きゃりーぱみゅぱみゅ
  • ハリーポッター
  • AKB48

など、映画だけではなりました。

ユニバーサルワンダーランドというエリアも作り、小さい子どもから楽しめるような、全方位型のテーマパークを目指します。

ユニバーサルワンダーランド
画像出典:https://response.jp/

世界最高のエンターテイメントを提供することをストイックに追求していきます。

総工費450億円をかけて、建築の監修にはハリーポッターシリーズの著者のJKローリングさんを招き完成させた、ハリーポッターシリーズ。

ハリーポッター エリア
画像出典:https://www.travelbook.co.jp/

待ち時間12時間30分という日本記録を叩き出したジェットコースターのフライングダイナソーなど、世界最高のエンターテインメントを追求するために、大改革を行っていきます。

フライングダイナソー
画像出典:https://www.usj.co.jp/

その結果として、「映画のテーマパーク」というブランドイメージが転換しました。

  • 映画のテーマパーク
  • 大人だからこそ楽しめるテーマパーク

というイメージから

  • 最高に楽しめるエンターテインメントがあるテーマパーク
  • 全年齢層が楽しめるテーマパーク

に変わったことで、来場者数が激変したのです。

しかも、この世界観を体現しているようなテーマパークは、他になく、日本では唯一無二のブランドとなっており、お客さんにとっても替えの効かない存在になっています。

5-3.ハウステンボスのリブランディング成功事例

では、最後に、長崎のテーマパークのハウステンボスについて。

huistenbosch

ハウステンボスは、1992年に環境先進国オランダの国造りの歴史に学んで

人口3万人が定住する未来環境都市を築く

というコンセプトの元に神近義邦という実業家の人が創業しました。

神近義邦
画像出典:https://www.asahi.com/

ハウステンボスは、中世から現代のオランダの街並みを忠実に再現した大型テーマパークです。

完成にまでかかった投資額は2300億円と、東京ディズニーランドよりも500億円も多いという力の入れようです。

当時、日本では珍しかった欧風建築の空間は話題を呼び、1996年には380万人の来場者を記録するも、バブル崩壊後は、入場者数が減少に転じます。

また、初期投資の巨額さも相まって、2003年には一旦倒産、2010年まで黒字になったことは一度もなく、再建をしようとするもうまくいかず、18期連続巨額赤字というテーマパークでした。

しかし、2010年9月期から初めて、この巨額赤字が黒字になります。

HIS創業者の澤田秀雄さんが社長に就任してからです。

澤田秀雄
画像出典:https://shae-bear.com/

そして、その翌年2011年には、売上高30%アップ、来場者数17%アップし、10億円の黒字を達成。

更にその翌年の2012年も、売上16%アップ、2015年には来場者数は300万人を超えて、もう園内の収容能力を超えるほどの来客が想定されるなど、劇的なV字回復が起きています。

ハウステンボスって、結構、テーマパークとして、好条件なのかというと、全くそんなことはなくて、東京ディズニーランドとかと比べて、結構きつい条件でやってます。

何がきついのかというと、立地です。

まず、立地でいうと、ディズニーランドが東京駅から浦安まで快速電車で20分前後なのに対して、ハウステンボスは東京から飛行機で1時間半、長崎空港から車で1時間もかかる。

だから、本当に「行きたくなる」理由がないと、お客さんは来ないわけです。

元々ハウステンボスは「オランダの静かな町並みを再現した大人のリゾート」でした。

最初はこの欧風の世界観というのは1992年当時では珍しかったため、ウケにウケて年間来場者数が300万人を超えてた時期があったんですが、時代の変化とともにお客さんにはウケなくなってきた。

それこそHISなどが登場し、個人が海外旅行に行くことも珍しくなくなったからでしょう。

だから、澤田さんは、本当に行きたくなる理由作りを徹底的に行いました。

例えば、「光の王国」というイルミネーションイベントなんかそうですよね。

光の王国は、世界最大の1300万個の電球でライトアップされるというイルミネーションのイベントで、全国イルミネーションランキングで4年連続獲得しています。

この動画見ているだけでも単純に行きたくなりますよね。

じゃあ、これが元々あった「オランダ」と直結するのかというとそうではない。

単純にテーマパークとして行きたくなる。

その他にも、話題になった企画が、ONE PIECEのサウザンドサニー号クルーズです。

サウザンドサニー号
画像出典:https://koume-in-huistenbosch.net/

その他にも革新的だったのは、園内の1/3を入場無料ゾーン(ハーバーゾーン)として解放し、そこに外部企業を誘致したことです。

これは「観光ビジネス都市」という構想があったからです。

澤田さんはこの構想についてこう語っています。

このテーマパークはちょうどヨーロッパのモナコと同じ広さ。観光をはじめ、買い物、ビジネス、医療と行った様々な目的で日本だけではなくアジアや世界から客が集まり、滞在する都市を目指したい『H.I.S澤田秀雄の「稼ぐ観光」』経営学(木ノ内敏久))

テーマパーク事業は、イベントの成否に結構左右する不安定なビジネスモデルです。

なので、テーマパークを核としつつ、ショッピングや、ビジネスや、医療など様々な目的で、ハウステンボスを訪れてもらうという構想なんですね。

もうこれは、テーマパークという概念を超えていて、「都市」を作るというモデルです。

定住人口も増やすつもりですからね。構想のスケールがかなり大きいです。

「テーマパークに遊びに行く」というのは非日常なイベントで頻繁には行こうと思いませんが、ショッピングなんかは日常的なイベントで、ショッピング目的でハウステンボスに行くのもアリだなということになるわけですね。

長崎初上陸の飲食店とか、洋服屋とかがあれば、それですら足を運ぶ理由になるというわけですね。

例えば、ハウステンボスの中には「カステラの城」と呼ばれるカステラが200種類以上集まった、ショップがあるんですが、これも大きな反響を呼びました。

カステラの城
画像出典:https://www.huistenbosch.co.jp/

長崎といえばカステラですが、こういうカステラが一堂に集まった、ショップって今までなかったんですよね。

これもハウステンボスに行く理由になるわけです。

元々の構想としてあった「未来環境都市」というコンセプトを、今の時代のニーズにも合わせてチューニングしたリブランディングの成功事例です。

ブランディングに取り組もうと思っている全ての方へ

中江 翔吾
中江 翔吾
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また、今回の記事を読んで、もっとブランディングについて知りたいという方は以下のブランディングについて網羅された記事も併せて、読んでみてください。

ブランディングとは?正しい意味と実行4ステップを完全解説
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今回は以上になります!ありがとうございました!


再び、ブランディングの成功事例を見る(本ページ上部に移動する)


 

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